2008年 11月 03日

山梨の新民謡

【甲州と新民謡】
 「甲州は民謡に乏しいところである。お隣りの信州には追分節を生んだを始めとして、有名な木曾節、伊那節、その他多くの特色ある民謡を有している。おなじ様な山国で特殊の民謡を生むべき環境を有しながら、甲州名物として一国を代表するやうな民謡は、遂に見当たらなかった。 恐らく無いのであろう。」紀行作家として多くの著作を残した松川二郎は、『趣味の旅 民謡をたづねて』(大正15年7月発行)の中でこのように記しています。
 本来の民謡に乏しいと言われる山梨県内において、何々小唄や何々音頭といった新民謡が明治以降に作られ唄われてきました。新民謡は、地域を紹介宣伝することを主目的に作られたため、お国自慢や景観,産物が織り込まれています。

【甲斐の四季】
 いわゆる新民謡として山梨県で最初のものが、『甲斐の四季』という歌です。
 「此唱は明治39年甲府に一府九県連合共進会が開かれた際、多数の外来客に対して一つの唱も踊りもないのは淋しいと言って、時の山梨県治知事 武田千代三郎が自ら作って、甲州美人にふさはしい葡萄模様の揃いの衣装を着せて共進会の舞台で躍らせたのが始まりで、その後全く廃絶しておったのを近年地方民謡の勃興に刺激されて、甲府花街名物の一つとして復活されたものである。」これは、前述した松川二郎の『趣味の旅 新民謡をたづねて』(昭和4年5月発行)に記されています。
 「甲斐の四季」は、作詞:武田千代三郎、作曲:清元小梅、振付:市川しんにより作られました。 

━共進会場内手踊━
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 明治39年10月1日から11月10日までの間、甲府城内を中心に開催された、一府九県連合共進会における会場内舞台です。甲斐の四季は、こうした舞台においても盛んに唄われました。

【甲州音頭と新民謡】
 昭和2年、東京日日新聞及び日本八景の大阪毎日新聞主催、鉄道省後援により、募集された日本八景選定において、昇仙峡と富士五湖が渓谷・湖沼としてそれぞれ日本二十五勝に選定されたことを記念して、作詞:野口雨情、作曲:中山晋平により甲州音頭が作られました。
 また、昭和3年10月の甲府市制40年の年には、それを記念した県内新聞社6社の強力による新聞大会が開かれのを機会に、作詞:西条八十、作曲:町田嘉章により甲州小唄が作られるなど、全国的に各地の地名を織り込んだ小唄や音頭が盛んに作られ、山梨県においても、昭和6年に甲府夜曲、甲斐車窓行進曲、昭和9年にゑえびす講音頭などが作られました。しかし、そうした反面、甲州人の自身の手に成る、本当の甲州音頭が世に出ることを切望するといった批判もあったようです。
 
━甲州音頭━
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 甲州音頭はお座敷で芸妓が踊った他、村祭りや山間の宴席においてももてはやされ、ビクターから甲府芸妓連の唄によるレコードが発売されるなど、大いに流行したようです。
 これは、甲府市桜町にあった料理店、三省楼が利用者向けに配布した甲州音頭の歌詞カードです。

━甲州民謡━
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 甲府市太田町にあった料理店、望仙閣が配布した甲州民謡の歌詞カードです。甲州音頭、甲州小唄、甲斐の四季、粘土節が掲載されています。

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 右側は望仙閣が配布した甲州音頭の歌詞カード、左側は、銘酒「富水」の醸造元である秋山酒造店(南巨摩郡増穂村青柳)が配布した、甲州音頭、甲州小唄、甲斐の四季、粘土節が掲載された歌詞カードです。

━山梨の民謡集━
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 戦後も武田節に代表される新民謡がいくつか作られました。これは、昭和20年代後半頃に、山梨時事新聞社が発行した『山梨の民謡集』です。13頁ほどの小冊子ですが、戦前期の甲州音頭を始めとした新民謡のほかに、戦後、昭和24年に誕生した甲府音頭、湯村夜曲などが掲載されています。


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by kaz794889 | 2008-11-03 17:16 | 史料 | Comments(0)


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