2008年 10月 19日

武田神社の征清紀念碑

【征清紀念碑のこと】
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 木立の中で確認し難いと思いますが、これは、武田神社内の藤村記念館(現在移築工事中)の前にひっそりと建っている「征清紀念碑」です。
 石の台座に鉾形の銅碑ですが、その鉾形部分に「征清紀念碑」の文字が、またその下には「陸軍大将大勲位功二級彰仁親王篆 明治廿九年二月山梨奉公義会建之」と刻まれています。
  同碑の裏面を確認する限り、日清戦争において山梨県から二千余人が従軍し、死者百有余人という壮烈な戦いであったことから、山梨奉公義会(会長は当時の山梨県知事 田沼 健)の会員によりこの碑を建立したとの内容が記されてています。
  またこの碑の隣には明治31年に建立された「征清役従軍死者忠魂碑」と記された石碑があり、そこには日清戦争での戦病傷死者143名の氏名が刻まれています。

【(甲府名勝)征清紀念碑】   
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 前述した武田神社境内に建つ「征清紀念碑」の明治末頃の状況です。
 碑の周囲の石組みや門柱など現状とは相当に景観が変わっています。

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by kaz794889 | 2008-10-19 22:12 | 絵葉書 | Comments(3)
Commented by ひろ坊 at 2008-10-19 23:17 x
またまた、凄い写真資料ですね。
峡陽文庫さん、一つ質問してもよろしいですか。峡陽文庫さんのお名前の峡陽は、教養から来ているんですか?昔あった、新聞(瓦版)の名前から来ているんですか?または、地名から?何から来ているのか大変きになります。
Commented by 峡陽文庫 at 2008-10-20 22:52 x
 お尋ねの峡陽文庫の名称についてお答えいたします。
 旧国名の一文字に陽の字を付して、国名を表現することがあります。よく知られている例でいうと、甲陽軍鑑で使用する「甲陽」、崎陽軒の「崎陽」、これらは、甲斐の甲、長崎の崎を用いて、それぞれの地名を表しています。
  峡陽の峡は、山梨県内では一般的な、峡中、峡南といった地域を表現する峡の字を用いて、山梨を意味する「峡陽」として使用しているものです。
 
Commented by ひろ坊 at 2008-10-21 18:10 x
峡陽文庫様
大変分かりやすくご説明頂き有り難うございました。お手数おかけしました。「峡陽文庫」は、お気に入りに登録して毎日チェックしています。これからも山梨に関する歴史を色々教えてください。楽しみにしています。


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