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2015年 10月 24日

甲府柳町御大礼記念の飾り幕と道祖神幕絵の面影

【奉祝 御大礼紀念 甲府市柳町通り】
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 大正4年11月10日の京都御所紫宸殿における即位の礼、11月14日から15日にかけての大嘗祭など、11月10日から15日にかけての大正天皇御大典を祝した100年前の甲府柳町通りの景観である。

 通りには多くの人々と山車。また、両側の商家の軒先をつなぐように奉祝の飾り幕が掲げられている。












【道祖神幕飾り付けの面影】
f0191673_12164441.jpg 江戸中期以降の甲府商人の隆盛に伴い発展していった甲府の道祖神祭は、町内ごとに物語絵や名所絵などの画材を決め、江戸の浮世絵師や京都の絵師などに幕絵の製作を依頼し、幅5mから10mに及ぶ長大な飾り幕が甲府の街に飾られており、柳町の画材は一丁目が二代広重の「田舎源氏」、二丁目が岸連山の「京都名所」であり、写真の位置にあたる柳町三丁目は広重筆の「東海道五十三次」であったという。

 明治維新御の明治4年から7年にかけての生活習慣に変化を強いる布達や禁令が、政府や山梨県から発せられる中、明治5年11月4日に山梨県令土肥実匡の名により山梨県内に広く行われていた道祖神祭礼を取り締まる「道祖神祭礼取締の義」が発せられ、甲府道祖神祭も廃せられ、広く知られていた幕絵も不要となり処分、転用がなされている。

 甲府道祖神祭が廃された明治5年の布達から今年は143年目を迎えるが、写真に写る大正4年の景観は明治5年から43年目の年であり、廃止前の賑わいや幕絵の飾付作法を知っている多くの人々が活躍する時代でもあることから、前記の写真に写る奉祝飾り幕が掲げられた景観に、かつての甲府道祖神祭の面影が写されているのではないだろうか。

 







【峡中新聞 第四号(明治壬申[五年]十一月)】
f0191673_13125419.jpg  【峡中新聞第四号掲載の「道祖神祭礼取締ノ義」】
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 明治5年11月4日に山梨県令土肥実匡の名により発せられた「道祖神祭礼取締の義」と、掲載された峡中新聞 第四号である。



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by kaz794889 | 2015-10-24 16:52 | Comments(0)


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