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2015年 06月 14日

津島家寄託 太宰治資料展

【昭和10年代中期頃の甲府市全景】
津島家寄託 太宰治資料展_f0191673_20121627.jpg 山梨県立都留高等女学校勤務の石原美知子と婚約した太宰治は、昭和13年11月16日に御坂峠の天下茶屋から、美知子の母である石原くらが見つけた甲府市竪町の寿館に転居し、甲府市での生活が始まっている。

 昭和14年1月6日には、結婚後の住居である甲府市御崎町の借家に転居し、同年9月1日に東京府北多摩郡三鷹村下連雀113番地の借家に転居するまでの約10か月間が、疎開期を除く太宰の甲府時代であった。

 太宰が東京近郊に転居を計画したのは昭和14年の5月上旬頃だといわれている。『増補改訂版 回想の太宰治』津島美知子著によれば、東京近郊への転居を考えるようになったのは、「太宰はもっと心おきなく語り合い刺戟し合う先輩や仲間が近くに欲しかったのだと思う。」とある。
 また、トタン葺き平屋のためか、御崎町の借家は畳まであつくなるなど、暑くてたまらず、やはり6円50銭の家賃相応の家であったことも記されており、甲府盆地の過ごし難い夏も転居を考えた要因のひとつでもあったと考えられるところである。




【「津島家寄託 太宰治資料展」のチラシ】
津島家寄託 太宰治資料展_f0191673_20121238.jpg 昭和14年9月1日に転居した三鷹村下連雀113番地の住居は、中央線の三鷹駅から徒歩約20分の新築、家賃24円の借家であった。
 戦時期の疎開時期を除き、太宰治とその家族はこの借家を主体に三鷹に居住していた。

 いわゆる三鷹時代の津島家における生活資料や太宰の創作活動に関する資料は、太宰治の没後、美知子夫人により保管され、美知子夫人の没後は、長女、次女らが引き継ぐ形で保管されていたが、津島家から総数70点におよぶ三鷹時代の資料が三鷹市に寄託されたということである。

 こうした津島家寄託資料を中心とした「津島家寄託 太宰治資料展」が、平成27年6月13日から6月28日までを会期(6/15、6/22は休館)として、三鷹市美術ギャラリー(三鷹駅北口からすぐ)で開催されている。



















【太宰治資料展の展示会場入口】
津島家寄託 太宰治資料展_f0191673_20125219.jpg 今回の資料展は「Ⅰ 三鷹へ」、「Ⅱ 現在もなお続く桜桃忌」、「Ⅲ 太宰治の筆休め -絵筆を執る-」、「Ⅳ 妻が残した太宰治」、「Ⅴ 三鷹で生まれた珠玉の作品 -色褪せぬ太宰文学-」の五部構成により展示されている。

 これまで各種の文学アルバムや文学展、その図録などで見た資料も展示されているが、「Ⅰ 三鷹へ」で展示されている戦時期から終戦後にかけての津島家の生活関連資料や、「Ⅳ 妻が残した太宰治」で展示されている太宰の検印6点、美知子夫人愛用の文箱などは、初めて目にした興味深い資料であった。 










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by kaz794889 | 2015-06-14 22:37 | Comments(0)


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