2015年 06月 14日
【昭和10年代中期頃の甲府市全景】 山梨県立都留高等女学校勤務の石原美知子と婚約した太宰治は、昭和13年11月16日に御坂峠の天下茶屋から、美知子の母である石原くらが見つけた甲府市竪町の寿館に転居し、甲府市での生活が始まっている。 昭和14年1月6日には、結婚後の住居である甲府市御崎町の借家に転居し、同年9月1日に東京府北多摩郡三鷹村下連雀113番地の借家に転居するまでの約10か月間が、疎開期を除く太宰の甲府時代であった。 太宰が東京近郊に転居を計画したのは昭和14年の5月上旬頃だといわれている。『増補改訂版 回想の太宰治』津島美知子著によれば、東京近郊への転居を考えるようになったのは、「太宰はもっと心おきなく語り合い刺戟し合う先輩や仲間が近くに欲しかったのだと思う。」とある。 また、トタン葺き平屋のためか、御崎町の借家は畳まであつくなるなど、暑くてたまらず、やはり6円50銭の家賃相応の家であったことも記されており、甲府盆地の過ごし難い夏も転居を考えた要因のひとつでもあったと考えられるところである。 【「津島家寄託 太宰治資料展」のチラシ】 昭和14年9月1日に転居した三鷹村下連雀113番地の住居は、中央線の三鷹駅から徒歩約20分の新築、家賃24円の借家であった。 戦時期の疎開時期を除き、太宰治とその家族はこの借家を主体に三鷹に居住していた。 いわゆる三鷹時代の津島家における生活資料や太宰の創作活動に関する資料は、太宰治の没後、美知子夫人により保管され、美知子夫人の没後は、長女、次女らが引き継ぐ形で保管されていたが、津島家から総数70点におよぶ三鷹時代の資料が三鷹市に寄託されたということである。 こうした津島家寄託資料を中心とした「津島家寄託 太宰治資料展」が、平成27年6月13日から6月28日までを会期(6/15、6/22は休館)として、三鷹市美術ギャラリー(三鷹駅北口からすぐ)で開催されている。 【太宰治資料展の展示会場入口】 今回の資料展は「Ⅰ 三鷹へ」、「Ⅱ 現在もなお続く桜桃忌」、「Ⅲ 太宰治の筆休め -絵筆を執る-」、「Ⅳ 妻が残した太宰治」、「Ⅴ 三鷹で生まれた珠玉の作品 -色褪せぬ太宰文学-」の五部構成により展示されている。 これまで各種の文学アルバムや文学展、その図録などで見た資料も展示されているが、「Ⅰ 三鷹へ」で展示されている戦時期から終戦後にかけての津島家の生活関連資料や、「Ⅳ 妻が残した太宰治」で展示されている太宰の検印6点、美知子夫人愛用の文箱などは、初めて目にした興味深い資料であった。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。
by kaz794889
| 2015-06-14 22:37
|
Comments(0)
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
全体 絵葉書 史料 観光案内 菩提寺 訪問記 甲斐の秋色 甲府城 石碑 蔵元 博覧会 桜の名所 山梨観光アーカイブ 藤村紫朗 銀行 史跡 遊亀公園 甲府連隊 寺院 神社 学校 基督教会 郵便局・逓信 鉄道 交通 木喰仏 劇場・映画館 温泉 絵葉書で見る山梨 御嶽昇仙峡 選挙 根津嘉一郎 電力 甲府市街点描 旅館・ホテル 新聞 広告・チラシ 藤村式建築 郷土誌 小林一三 橋 商店の包装紙 山梨の官選知事 雑誌 山縣大弐 太宰治と甲府 戦時期の山梨 警察 役場 病院 富士川 百貨店 山梨の文学 明治45年東宮行啓を歩く 甲州紀行 大和郡山紀行 明治天皇旧蹟 富士山と北麓地域 甲府細見 文化財 奉安殿 忠魂碑 観光チラシ 富士登山 勝地漫画 花子とアンとその時代 山梨 日露戦役を歩く 御嶽新道 柳澤吉保 公会堂 山梨県指定仮史跡 甲州夏草道中 樋口一葉 観光案内記 山梨の近代建築 小室山 妙法寺を歩く 中央本線電化 未分類 以前の記事
2019年 08月 2019年 01月 2018年 08月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 10月 2017年 08月 2017年 07月 more... 記事ランキング
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||