2015年 05月 01日

甲府城追手門の遺構

【平成27年4月28日付 山梨日日新聞】
f0191673_11081850.jpg 甲府城追手門(おうてもん)の遺構発見について、山梨日日新聞等による新聞報道があった。 
 山梨県埋蔵文化財センターのHPの掲載内容によると、その概要は次のとおりである。
 甲府市上下水道局により、甲府城跡と山梨県庁間を南北に通る県道における水道管の敷設替え工事が施工されるにあたり、当該工事範囲が甲府城の楽屋曲輪の番所、追手門、堀の存在が想定れる箇所にあたることから、山梨県教育委員会と甲府市教育委員会による合同立会調査において、追手門の遺構である次の石垣等が発見されたという。
 ・県庁東門北側付近から枡形虎口(ますがたこぐち)北側の南石垣の一部
 ・県庁東門南側の追手門付近から礎石が二基
 ・追手門付近から堀に至る間で、敷石と考えられる板石が5点 など。



























【『甲斐史』所載の甲府城略図(部分)】
f0191673_11082306.jpg 追手門は甲府城の南側の門にあたり、現在の山梨県民会館西側のスクランブル交差点付近に内堀、堀には太鼓橋が架かり、その北側に冠木門形式による追手門、その先は枡形となり、左側には渡櫓門があったという。
  














【上記新聞記事掲載図】
f0191673_11083003.jpg 太鼓橋はスクランブル交差点の北側、左図の追手門と示されている位置、現在の県庁東門付近が枡形虎口の渡櫓門があった位置にあたるという。




















【山梨県庁東門付近】
f0191673_11280573.jpg 樹木の先、左側が県庁東門である。
 






















【甲府舞鶴城】
f0191673_11421093.jpg 明治後期の甲府城内堀に架かる太鼓橋である。
 橋を渡った突き当りにある冠木門があり、その先左側の渡櫓門跡の石垣を抜けた、現在の県庁構内にあたる場所に当時は甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)が建てられていた。

 太鼓橋の右側附近が山梨県民会館の建てられている位置である。













【太鼓橋の先にあった冠木門】
f0191673_11450400.jpg 写真は明治39年頃の太鼓橋であり、その先に建つ冠木門は甲府中学校の正門として使用されていた。

 昭和3年の甲府中学校の新築移転(現在の甲府第一高等学校の位置)後、甲府城の内堀が埋め立てられ、石垣が取り壊された敷地が、現在の県庁構内にあたる県庁新築移転地となり、山梨県会議事堂が昭和4年に、山梨県庁新庁舎(現在の県庁別館)が昭和5年に竣工し現在に至っている。

 







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by kaz794889 | 2015-05-01 15:02 | 甲府城 | Comments(0)


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