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2015年 04月 04日

柳町の勧工場と祖師堂

【柳小路飲食店街の入口】

f0191673_15071622.jpg 明治36年8月に、甲府市柳町の牛山儀助、浅川友造、八日町の山田忠蔵の3名が中心となり、市街中央部に勧工場(かんこうば)の設置が計画された。

 勧工場は、各種業者が連合し日用商品を主に持ち寄り、これを一か所に陳列して販売する、平面式デパートといった体による販売組織である。

 甲府勧工場の設置計画については有名商店多数の賛成加盟を得て、その設置場所に、当時甲府市街の商店街中心地となろうとしていた甲府市柳町2丁目を選び、敷地面積約150坪、20数業者による勧工場を建設し、明治36年11月6日に「博品館」と命名された勧工場が開業している。

 座売りが一般的な販売方法であった時代に、商品が一面に陳列され自由に見たり触ったりできるよう、様々な種類の商品を場内に同寺に並べて販売させる陳列販売方式による博品館は、開業後数年間は相当の人気を呼び甲府市の一名物となっていた。

 甲府市中央4丁目の遊亀通りと城東通りが交わる南側、柳小路飲食店街の入口付近(写真の中央空き地の位置)に甲府勧工場である「博品館」が営業していた。



【昭和16年の市街図】
f0191673_15074140.jpg 博品館の人気は開業後10年程度であった。
 このため、営業不振の打開策として、大正4年には博品館の正面突き当りに日蓮宗祖師堂を建立し、白木造りの堂に太鼓と赤い大提灯を備え、名称も「天晴館」と改め、祖師堂横から桜町に抜ける通路(現在の柳小路飲食店街の北側入口)も、この時に設置されている。


 その後、天晴館の営業
不振が続き大正末期には館内の一部を残して改装し、ローラースケートやピンポンなどの遊技場に転向してその営業を続けていたが、昭和3312日の午後3時頃、館内で営業していた藤原石油乳剤工場(ガソリンを主剤にした殺虫剤製造業者)から出火、その後、ガソリン引火による大爆発が発生し、同館は全館が焼失するとともに、近隣においては全焼7戸、半焼4戸の被害が発生するなどし、同館はついに復旧されることなく廃業している。


















【柳小路飲食店街】
f0191673_15072699.jpg かつて博品館が開業していた、現在の柳小路飲食店街。
 写真中央突き当りに後述の石祠が置かれている。




















【柳小路飲食店街の石祠】
f0191673_15105275.jpg 祖師堂跡に置かれている石祠。
 柳小路飲食店街の守り神、火伏の神となっている。





















【身延山別院】
f0191673_15073812.jpg 祖師堂はその後、中央2丁目の城東通り(旧甲州街道)沿いにおいて、身延山別院となっている。

























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by kaz794889 | 2015-04-04 16:51 | Comments(0)


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