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2014年 12月 30日

女子交際會


【女子交際會設立大意】
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 「同じ心の婦人共同して女子の風習を改良し家政の学を講習し以て女子の教育を拡張せらるる聖旨を翼成するにあり」、「旨趣に基き会員相親睦し相諮詢し各自一家の幸福を謀り女子の品位を高尚にせんことを要す」との、「婦人交際會仮規則」第一条及び第二条に定める目的等から、女子交際會が設立され、明治20年1月16日に発会式が行われている。

 女子交際會は、山梨県尋常師範学校及び甲府学校の女性教師を発起人とし、事務局を山梨県尋常師範学校の徽典館女教場内に、会費は一か月5銭として、毎月第一日曜日の午後1時に例会を行っていた。






















【設立大意に記載されている女子交際會の発起人及び協賛者】
f0191673_17043739.jpg 「女子交際會設立大意」の最終頁に記載されている発起人と協賛者である。
 「女子交際會」は発足してから数年で解散状態となり、明治23年11月9日に同会の会員であった13名が発起人となり、「山梨婦人會」が新たに設立されている。
 


















発起人と協賛者は次のとおりである。 
 [発起人]
   「長野はな子」は埼玉出身で、明治17年から同20年まで山梨県尋常師範学校の二等助教諭を務めている。
   「宗てい子」は福岡出身で、明治19年から同21年まで山梨県尋常師範学校の訓導を務めている。
   「権太きん子」は長崎出身の甲府学校訓導であり、甲府学校校長を務めていた権太政の夫人である。
   「相原りか子」は明治16年の徽典館中等師範科卒業生である。
 [協賛者]
   「藤村夫人」は当時の山梨県知事藤村紫朗の夫人
   「高木夫人」は当時の山梨県書記官第一部長の高木忠雄夫人 
   「大木夫人」は当時の山梨県書記官第二部長の大木房英夫人
   「内藤萬春子」は内藤伝右衛門の養母で社会教育や教育に熱心に取り組んでいた、内藤満寿と思われる。



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by kaz794889 | 2014-12-30 18:06 | Comments(0)


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