2014年 09月 14日

戦時期の山梨 15「湯田国民学校の防空監視哨」


【昭和17年の湯田国民学校】
f0191673_21554130.jpg 昭和16年12月の「防空監視隊令(昭和16年勅令第1136号)」に基づき、昭和17年に米軍空襲に備え各府県ごとに数隊の防空監視隊本部とそれに所属する防空監視哨が設置されることとなった。
 山梨県内においても甲府、大月、南部に防空監視隊本部が、また各本部の配下に10数か所前後後の監視哨が置かれ、哨長一名と監視隊員一名により三交代による監視が行われ、昼間は双眼鏡により敵機の来襲を監視し、その情報を東部軍管区に通報、東部軍管区はその情報を基に警報を発令するとともに、上部組織や機関に連絡 を行っていた。
 
 写真は昭和17年の甲府市内、湯田国民学校である。
 写真の右端、校舎の屋根上に設置された櫓が監視哨である。写真の写された三年後、昭和20年7月6日の甲府空襲で湯田国民学校は全焼している。





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by kaz794889 | 2014-09-14 22:36 | 戦時期の山梨 | Comments(0)


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