2014年 09月 07日
【村松新道の北側入路】 写真の正面に写る「冨士彦」の左側が村松新道の西側入路である。 この入路の左側一画と現在の村松新道を合わせた敷地において、村松甚蔵の一族である村松正三が上野屋の屋号で醤油、味噌、酢の醸造業を行っていたが、本業が芳しくなくなったためか、敷地内の一画に道路を通し、両側に家作を建て貸店舗を始めている。 敷地内の道路は昭和3年3月3日に開通し、その名称は公募により「村松新道」になったという。 開通後は飲食店やカフェが進出し甲府市街の繁華街の一つであったが、戦災により村松新道の両側建物は全て焼失している。 焼失後の復興で繁華街の面影は消えている。 【上甚 上野屋の跡】 柳町の通りに面した甲府市柳町28番地(現在:中央4-4)で上野屋の屋号で砂糖問屋を営んでいた「上甚」の跡である。 村松甚蔵(育三)は先代甚蔵の四男として明治2年12月に生まれたが、明治27年に実兄の逝去により家督を継ぎ三代目甚蔵を襲名している。 明治43年には収集した和漢書約四万冊による「南塘文庫」を設立し、大正14年には本格的な図書館である「汲古館」を桜町に開設している。また、大正6年4月には、11,622円を山梨県に指定寄附し、甲府城跡を陸軍省から山梨県に払い下げさせている。 なお、大正8年には県会議員、昭和2年には衆議院議員を務めている。 【村松家の墓所】 村松家の墓所である。 【村松甚蔵の墓】 村松甚蔵は昭和20年2月9日に76歳で逝去している。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。
by kaz794889
| 2014-09-07 14:50
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