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2014年 08月 16日

金櫻神社 2 「焼失前の社殿」

【明治中期の金櫻神社境内】

f0191673_20453554.jpg 明治29年4月に発行された『甲斐国総社御嶽山金櫻神社全図』の一部である。
 当ブログの「金櫻神社 1」に記載のとおり、金櫻神社は昭和30年12月に失火のため社殿が全焼していること。また、現在の社殿再建にあたり境内の段差なども全て取り払い平地化しているため、現在の様子から往時の境内を偲ぶことは極めて困難であり、境内全体を俯瞰できるこうした境内絵図などでなければ境内の社殿配置の認識は難しい。

 左の境内絵図を基にかつての社殿を紹介していきた。
 





【甲州御嶽 金櫻神社 東宮本殿と太鼓堂】
f0191673_20460438.jpg 境内絵図で赤色に囲んだ明治40年頃の「東之宮」と「太鼓堂」である。
 「東之宮」は「金櫻神社東宮本殿」として明治40年8月28日に旧国宝に指定されその後は国の重要文化財として保存されていたが昭和30年に他の社殿とともに焼失している。
 「太鼓堂」は梁三間、桁三間、檜皮葺き。建立年月は不詳ながら、徳川家康が平岩親吉に命じて再建させたと云われ、明治維新前は太鼓ではなく釣鐘が吊られていたという。
 











【昭和28年頃の東宮本殿】
f0191673_20460403.jpg  昭和28年7月30日発行に山梨県教育委員会から発行された『山梨県文化財』には「方三間入母屋造り檜皮葺き、鎌倉時代末期の作とされているが、鎌倉時代の入母屋造り本殿建築の遺構は全国でも比較的少なく、建築史上興味深いものと云われている。正面一間に向拝が附せられ中央の蟇股には竹が彫刻され手挟は菊の籠彫で共に桃山時代流行の手法であるが、後補したようである。」と記されている。
 なお、写真右側に写る太鼓堂は東宮本殿の下(前記の写真参照)に建立されていたが、この位置に移築されている。









【甲州御嶽 金櫻神社 中宮本殿と本宮】
f0191673_20460574.jpg 境内絵図で赤色に囲んだ明治40年頃の「中ノ宮」と「拝殿」「本社」である。
 「中ノ宮」(写真の右側)は「金櫻神社中宮本殿」として東宮本殿とともに明治40年8月28日に旧国宝に指定されその後は国の重要文化財として保存されていたが昭和30年に焼失している。
 「拝殿」(写真の左側)は金櫻神社本殿の拝殿であり、梁四間、桁五間、檜皮葺きの社殿であり、浅野左京太夫幸長の建立と云われていた。
 「本社」(中ノ宮の後方)は金櫻神社本殿であり、梁五間、桁三間、檜皮葺きの社殿で武田義信の建立と云われていた。 








【昭和28年頃の中宮本殿と本宮本殿】

f0191673_20460549.jpg 前述の『山梨県文化財』には中宮本殿について「中宮は正殿(本殿)と東宮の中間にあって、日本武尊を祀り三間社流造り檜皮葺きで質朴端正な姿を見せ、鎌倉末期の建造とされている、正面三間に八双金具で飾った板扉を立て荘厳を極め、本殿向拝上三個、長押上に配置された三個の蟇股は蓮花彫刻が施され、神仏混合の影響を示している。」と記されている。
 なお、中宮本殿は昭和11年の大修理により、前記の写真にあった中宮本殿前の建物を取り除き、写真のとおり改修されている。
 また、左側に写る金桜神社本殿には後方左右の柱に、左甚五郎が作成したと伝えられる昇龍、降龍が残されていた。

 






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by kaz794889 | 2014-08-16 23:07 | 神社 | Comments(0)


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