2014年 04月 29日
【「第3週 初恋パルピテーション」から】 翌朝、はなが川で水汲みをしていると、朝市も水を汲みにやってきた。はなは、兄妹たちが自分との間に壁を築いているような気がすると、つい本音を漏らす。朝市は何か言いたそうだ。 「・・・はなにゃあ黙ってろ、口止めされたけんど・・・」年明け早々に、かよが製糸工場へ女工として働きに行くことになっているのだと、朝市は明かした。 【工女募集従業者之証 表面(右)・裏面(左)】 ドラマの時代背景である明治後期の甲府は、近代的な工場の勃興や水晶研磨工業が伸びていたものの、製糸は甲府の主要な工業であり、そこで働く工女は重要な担い手であった。 明治40年前後、甲府市内には器械製糸工場が10数工場、座繰工場が70工場操業していたというが、明治42年には工場数が減少するなど、明治30年代から山梨県内の製糸工場は興亡を繰り返していた。 こうした山梨県内の製糸業にとっての大きな打撃は、製糸女工の県外流失であり、明治36年の中央本線開通は県外への出稼女工の数を飛躍的に増加させた。 明治44年当時、長野県諏訪地方を始めとした他府県から出願され山梨県庁の許可を得た女工募集数は12,000名達しており、その数は山梨県内で操業していた製糸女工数(明治44年現在、13,862名)に匹敵する女工が県外に流失していた。 山梨県は、県外からの女工募集を取り締まる目的で「職工募集届出規程」等を制定し、契約内容の届け出を義務づけるまでしたが、製糸女工の県外流失は衰えなかったという。 写真は大正7年に甲府警察署が発行した「工女募集従事者之証」である。 山梨県内全域を募集区域とし、市内横沢町の民家に募集事務所を設けていた、長野県諏訪郡川岸村(現在の岡谷市)の製糸工場によるものである。 【製糸商標】 製糸工場(製糸生産者)は意匠をこらした商標(シルクラベル)を作成し、製糸荷につけて出荷していた。 写真は「甲西社器械製糸」の製糸商標である。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。
by kaz794889
| 2014-04-29 14:42
| 花子とアンとその時代
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