2014年 04月 19日

甲府停車場の北側

【中央本線 甲府駅北口】
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  鉄道官舎や山梨県庁官舎などが目立った甲府駅北側に、甲府駅北口が開設されたのは昭和25年11月であり、その後、昭和61年の山梨国体開催に合わせて甲府駅が橋上駅舎となり、駅ビル、南北自由通路が設置されるまで、ホームから駅北口への連絡は、構内に設置されていた跨線橋により、つながっていた。
  列車利用者は南北いずれかの出口を利用することができても、利用者以外の者は入場券による以外には、中央本線を跨いだ南北の利用については、駅の東側にある舞鶴橋(道路としての跨線橋)の利用によるほかなかったのである。
  山梨国体に合わせた南北自由通路が建設され20数年が経過した数年前、甲府駅北口の再開発が甲府市を中心に進められ、現在は新たにペデストリアンデッキにより駅と街がつながるなど、写真のとおり駅北口が整備されている。  



【甲府停車場ノ景】
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  甲府駅が開設されたのは明治36年6月である。
  「甲府停車場ノ景」とされた写真の絵葉書に明治39年開催の山梨県主催一府九県連合共進会の記念スタンプが押印されていることから、この写真は駅開設から3年後の甲府停車場北側の景観である。  




【明治39年10月頃の甲府市街図】
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  明治39年10月に山梨時報社から発刊された『甲州案内』に挿入された甲府市街図である。
  甲府駅は旧甲府城内の清水曲輪及び花畑曲輪を取り壊して開設されたものである。
  そのため、この地図上においては、舞鶴城(甲府城)の北側上部が中央本線により南北に分断されており、まだこの頃は現在復元された甲府城大手門附近の石垣や堀が残されていたことが確認できるものである。
  地図に青の表示をしたのが、甲府駅の中心である駅舎が置かれた位置であり、赤丸の表示がある位置附近から、撮影されたものと考えられる。




【絵葉書の風景】
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  写真に写る建物は写真の赤字表示のとおりであり、手前左に松が写る場所は甲府城の遺構である。興亜城の遺稿である




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by kaz794889 | 2014-04-19 20:44 | 鉄道 | Comments(0)


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