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2014年 04月 06日

岸田吟香の精錡水と甲府日日新聞の広告

【『岸田吟香・劉生・麗子』展の案内チラシ】
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  平成26年2月8日から本日、4月6日まで、東京の砧公園内にある世田谷美術館で開催されている、「岸田吟香・劉生・麗子」展(3月20日の山梨日日新聞の文化面に「受け継がれた強烈な個性」として同展の紹介記事が掲載されている。)を先週観覧した。
  岸田三代の中では、劉生が描くところの麗子像が、最も知られているところであるが、今回観覧の目的は岸田吟香であった。
  吟香は劉生の父、麗子の祖父にあたる人物であり、天保4年4月28日に岡山県に生まれ、和英辞書の編さん、「横浜新報もしほ草」「渡航新聞のりあひばなし」といった新聞の創刊、郵便報知新聞の編集や東京日日新聞の主筆となるなど新聞人として活躍している。




【岸田吟香の「精錡水」の広告】
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  眼病を患った岸田吟香は元治元年の5月頃に、治療のため横浜のヘボンを訪ね、その医療技術の高さと何者にも分け隔てなく無私で治療を行うヘボンの姿に強く心を打たれ横浜に移り住み、ヘボンの和英辞書の編集など、活動のすべてを手伝ったという。
  慶応3年、ヘボンから処方を伝授された液体目薬を「精錡水」と命名し販売を始めている。
  その「精錡水」の広告が写真の広告(同展において販売している絵葉書から)である。
  貝殻に練薬といった江戸時代の目薬とは異なり、「精錡水」は日本最初の液体目薬であり、眼病を患った岸田吟香がヘボンに処方され自分の眼病に対する効用に驚き、その後、「自ら製造・販売したという。



【甲府日日新聞(明治11年2月19日第974号)】
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【同号に掲載された「精錡水」の新聞広告】
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  「精錡水」の販売広告については、効果的な図と文章を用いた新聞広告を積極的に活用している。
  岸田吟香が関係していた中央紙である「東京日日新聞」や地方紙にも掲載している。

  山梨の地方紙についても、山梨日日新聞の前身である甲府日日新聞に岸田吟香の名を附して「精錡水」の広告を連続的に掲載している。
  写真の広告は、明治11年2月19日付の甲府日日新聞の最終面、広告欄掲載されている新聞広告である。
  同広告によると山梨県内では、甲府、上野原、勝沼、南部、日川の8人が「精錡水」の大取次となっており、甲府泉町の父母之屋金造は市金造による薬、陶器、銘茶の販売、柳町の宮川清兵衛は川口屋として和様小物、煙草、蝋燭の販売、南部の伊奈平橋は橘屋を屋号とする商店であるなど、いずれも各地域における商店である。




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by kaz794889 | 2014-04-06 08:51 | Comments(0)


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