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2014年 01月 04日

甲府 魚町

【甲府魚町の地籍図】
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 「武田氏の時代に肴の市を立てたところであった。」というのが、魚町の町名の由来であるという。
 掲載した地籍図(左が北側、右が南側)のとおり、魚町は北は横近習町、南は桶屋町に接する南北の街並み(赤色に囲んだ地域)であり、山田町、八日町、三日町、下連雀町と交差し、北側から南側に向けて一丁目から五丁目からなっており、江戸期から魚市場が移転する昭和49年頃まで、その町名が示すとおり、魚問屋や仲買人などの魚を商いとする町であった。



【現在の魚町通り】
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 地籍図の山田町と八日町の間の現在の魚町通りである。
 写真の左側に写るマンションの位置に、かつて甲府魚市場があり魚町の中心となっていた。



【甲府魚市場跡】
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  明治36年6月に中央本線が甲府まで開通した時期に、東京の魚市場から甲府に魚類が入るようになると、魚町近辺は朝の取引の繁忙時間の二時間、三時間は交通が遮断される程の状況であったという。
  このため、交通や衛生面から、個々の店先や往来での習慣を改めて市場を建設するようにと明治40年頃に県当局から要請があったことから、大正2年に通りの西側にあった民家を買収し写真の場所に市場を建設している。
  また、昭和7年3月には、魚町で営業していた森田屋、駿相社、カネ一、丸星等の魚問屋を主体として小売業者やその他の有志者が一緒になって株式会社甲府魚市場が設立されている。
  こうして発展してきた魚町であったが、昭和48年4月25日の甲府中央卸売市場(現在の甲府地方卸売市場:甲府市国母6-5-1)の開設とともに魚町の魚商は移転し、魚町の面影は失われている。




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by kaz794889 | 2014-01-04 14:41 | Comments(0)


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