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2013年 07月 20日

北口本宮冨士浅間神社

【『冨士山北口全図』の冨士浅間神社】
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  大正14年7月に富士吉田の大正堂が発行した「冨士山北口全図」の一部に掲載された冨士浅間神社である。神社前の軌道は船津から籠坂峠を結ぶ鉄道馬車のものであり、参道入口には「浅間前停車場」が置かれている。



【北口本宮冨士浅間神社境内案内図】
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  富士吉田市上吉田5558番地に鎮座する北口本宮冨士浅間神社は、木花開那姫命、天孫彦火瓊々杵尊、大山祇神を祭神とした神社であり、景行天皇40年(西暦110年)の日本武尊御東征の際に箱根足柄から甲斐国酒折宮に向かう途次、この地を御通過し大塚山に御立ちになられ、親しく富士山の神霊を御遥拝され、大鳥居を建立され勅され祠を建てて祀られたのが始まりとされている。
  明治12年6月には郷社から県社に昇格し、戦後は別表神社に加列されている。

  本図に記載した次の赤字表示は後述の写真表題番号とリンクしている。  
  ① 参道入口
  ② 大鳥居と随神門
  ③ 冨士浅間神社拝殿
  ④ 冨士浅間神社手水舎





【① 参道入口】
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  参道入口の大鳥居は、高さ33尺、明き23尺、題字の「富士山」の文字は梨本宮守正王の御染筆であり、昭和5年8月に東京蕎麦商組合の奉献によるものである。
  また、社号標は花崗岩の方柱、台石による高さ16尺、1尺4寸、1尺5寸角であり、「冨士浅間神社」の文字は秋元興朝子爵の筆によるもので、大正15年6月に船津村(現在:冨士河口湖町)の渡辺兵次郎が奉献している。
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【②大鳥居と隋神門】
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  北口本宮冨士浅間神社は富士山を遥拝する神聖な場所であり、この大鳥居は神社の鳥居ではなく、富士山の鳥居とされ、文明12年(1480)に建立されたのがその始まりとされている。
  江戸後期以降は凡そ60年周期で立て替えが行われており、木造としては日本最大とされている現在の大鳥居は昭和25年に建立工事が起工され同29年に竣工したものである。
  大鳥居は再興の時期を迎えており、現在は式年大修理事業が進められている。

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【③ 冨士浅間神社拝殿】
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  享保18年に建築された北口本宮冨士浅間神社の拝殿は、平成21年2月16日に山梨県文化財として指定されている。

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【④ 冨士浅間神社手水舎】
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  石柱4本に支えられた入母屋造りとして元文4年に建築された北口本宮冨士浅間神社の手水舎は、平成16年3月25日に富士吉田市文化財として指定されている。

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by kaz794889 | 2013-07-20 21:54 | 神社 | Comments(0)


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