2013年 07月 06日
【戦災殉難者無縁供養碑】 昭和20年7月6日の23時53分、駿河湾を北上し静岡附近から東北進して山梨県域に侵入した138機のB29編隊により、翌7日の午前2時20分の空襲警報解除までの2時間30分の間、甲府市及び当時の周辺12町村に波状的な攻撃がなされた甲府空襲から本日は68年目にあたる。 この甲府空襲により、甲府市街地の74%が被災し、1,127名が犠牲となっている。こうした犠牲者の方々については、戦災後、直ちに警察及び甲府市厚生課、警防課の職員が立ち会い検死の上、警防団、義勇隊に引き継がれたが、その対応については夏の暑さからの腐乱による臭気など、対応は困難を極めたという。 7月7日からの4日間で犠牲者の対応は終わり、遺族に引き渡されたものが267体、一蓮寺に仮埋葬されたものが366体、同寺で荼毘にふされたものが47体、光沢寺に仮埋葬されたものが119体、長禅寺に仮埋葬されたものが31体、その他の寺院には3体が仮埋葬された。 その後、一蓮寺境内に仮埋葬された遺体の改葬事業が昭和25年3月になされ、仮埋葬された遺体は火葬され、その内の213柱は遺族に引き渡され、140柱は大泉寺に安置されたという。 写真の「戦災殉難者無縁供養碑」は、無縁となり大泉寺に安置された140柱の供養碑として、昭和34年8月に甲府市により市営躑躅ヶ崎霊園内に建立されたものであり、現在も供養碑前において、毎年供養祭が営まれている。 【戦災死者慰霊 礎(いしずえ)地蔵尊】 昭和25年3月の一蓮寺境内の改装事業に伴い、仮埋葬された犠牲者が大泉寺に改葬された際、一蓮寺の仮埋葬地の一画に供養の地蔵像建立された。 平成11年10月には、その地蔵像を祀る堂宇が改築されるとともに、その地蔵像は「礎地蔵尊」と命名されている。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。
by kaz794889
| 2013-07-06 21:36
| 戦時期の山梨
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