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2013年 06月 16日

太宰治と甲府 3 【甲府市竪町 寿館】

【甲府市朝日5丁目 寿館跡附近の地図】
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  昭和13年11月16日、石原美知子と婚約した太宰治は、これまでの滞在先であった御坂峠の天下茶屋から甲府市竪町93番地の「御下宿 壽館」に転居している。
  なお、竪町93番地は、昭和37年の住居表示変更により朝日5丁目と変更されている。



【昭和10年代の甲府市竪町寿館附近の地籍図】
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  太宰治の下宿先である寿館は竪町の西側の端にあり、小路を挟んだ北側は白木町、西側は元三日町、南側は朝日町といった場所に位置していた。




【昭和10年代の清運寺】
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  清運寺は寿館の西側にある日蓮宗の寺院であり、写真は上記地籍図の①の位置附近を北側から写したものである。
  左側に写る人物の前に建つ建物が寿館と思われる。




【現在の同位置】
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  清運寺は昭和20年7月の甲府空襲で堂宇を焼失しているものの、道筋は当時の景観が残されている。




【昭和10年代の妙詮寺山門】
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 寿館の北側にも、日蓮宗寺院妙詮寺がある。写真は昭和10年代の同時の山門であり、当時は上記地籍図の②の位置にあった。




【現在の同位置】
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 同寺も甲府空襲で堂宇を焼失している。終戦後、本堂の再建にあたり、工事車両の出入りの関係から、境内への入り口は東側に移動している。




【現在の題目塔】
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  上記地籍図の③の位置に境内への出入り口を移動するとともに、山門前にあった題目塔もこの場所に移設している。




【壽館から眺めた清運寺】
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  上記地籍図の④の位置にあった寿館の二階から白矢印方向である北西側を写した写真である。  
  太宰治が下宿した寿館は、石原美知子の母親である石原くらが見つけた下宿先であり、菊島氏が経営していた。
  太宰の書簡などでは寿館の住所は「甲府市西竪町93番地」となっているが、当時の竪町は町域の中間あたりに商店街として発展していた朝日町通りが南北に通っていたため、その通りを境に西側町域を西竪町と通称していた。
  また、番地については、地籍図上においては「竪町95番地」に位置するが、当時の住居表示上は竪町93番地とされていたようである。
  写真に写るいずれの建物も甲府空襲で焼失しているが、名取家墓所は現在も清運寺の墓域内に残されている。





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by kaz794889 | 2013-06-16 16:17 | 太宰治と甲府 | Comments(1)
Commented at 2015-11-23 22:17
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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