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2013年 03月 20日

日川御小休所跡

【明治天皇御巡幸 日川御小休所跡】
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  明治13年6月16日、29歳の明治天皇は伏見宮貞愛親王殿下をはじめ太政大臣三条実美、参議伊藤博文らを供奉とした総勢約400人の陣容により、山梨・三重・京都御巡幸に出発され、6月19日の午前7時に笹子行在所を発せられ、午後1時40分に東山梨郡日川村歌田二番地(現在:山梨市歌田)の志村勘兵衛宅御小休所に着後されている。
  甲州街道に面して建てられていた志村勘兵衛宅はのあった位置が写真の場所である。



【日川御小休所跡碑】
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  石碑の正面が甲州街道に向けられていないが、昭和9年にこの場所が山梨県聖蹟に指定された時期に建立されたのが、写真の石碑である。
  志村勘兵衛は自宅が御小休所に定められると、明治13年4月上旬に檜及び欅を用いた瓦葺の通用門新築に着手し、6月19日には新築の通用門で明治天皇を迎えられている。その後、この通用門については、西郷従道侯爵、久我通久侯爵、伏見宮貞愛親王殿下、小松宮彰仁彰親王殿下らが来県休憩された時以外は常に閉鎖して一般の出入りは禁じていたという。
  明治天皇の旧蹟である建物は、その後も志村家により守られていたが、明治40年8月24日の未曾有の大水害を被り、家屋、家財の悉くを流失したため、志村家は日川村歌田207番地に移転している。




【駐蹕碑】
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  御小休所跡碑の南側に建てられている駐蹕碑である。
  明治13年6月の明治天皇巡幸の際における志村家への駐蹕を記念するため、志村勘兵衛が昭和4年に明治40年当時の同家屋敷内に建立した石碑である。



【志村勘兵衛頌徳碑】
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  昭和9年に志村勘兵衛家の屋敷跡が山梨県聖蹟に指定されると、それを機に昭和10年に旧屋敷跡4925㎡を当時の日川村に寄贈しており、日川村の合併後は山梨市がその土地を承継し市営住宅地としていたなどの経緯から、昭和55年に建設された頌徳碑である。
  なお、駐蹕碑と頌徳碑は旧住宅敷地内中央に設置されている小公園に並んで建てられている。
 




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by kaz794889 | 2013-03-20 18:23 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)


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