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2013年 03月 11日

大和郡山紀行 柳澤家を歩く 1 「永慶寺」

【永慶寺案内パンフ】
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【永慶寺の略地図】
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  奈良県大和郡山市の龍華山 永慶寺は柳澤吉保を開基とする黄檗宗の寺院である。
  旧郡山藩主柳沢家の初代藩主柳澤吉里の父親である柳澤吉保が宝永元年(1704年)12月、5代将軍徳川綱吉から甲斐・駿河両国に12万1200石余を与えられ柳澤氏の出自の地である甲府藩主となり、柳澤吉里が大和国郡山に転封となる享保9年(1724年)までの約20年間、柳澤家は甲斐国を治めていた。
  甲府藩主となった柳澤吉保は宝永7年(1710年)に甲斐国巨摩郡岩窪村躑躅ヶ崎(現在:甲府市岩窪町)に龍華山永慶寺を建立し、正徳3年(1713年)9月5日に逝去した正室の定子と正徳4年(1714年)11月2日に逝去した吉保が同時に埋葬され菩提寺となるなど、柳澤家が甲斐国を治めた時代、永慶寺は順当な推移していったが、2代甲府藩主であった柳澤吉里の時代である享保9年(1724年)3月、幕命により大和国郡山に転封となったことから、永慶寺も大和国郡山に移転し現在に至っている。
  なお、移転後の永慶寺は柳澤家の信仰の場として当地での別邸的な要素を兼ねて、歴代藩主の庇護の下で明治維新に至っている。

【永慶寺境内略図】
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  境内の主な諸堂等は次のとおりである。
   本堂(大雄宝殿)
   柳澤家仏間(香厳殿)
   庫裏
   山門
   柳澤家墓所




【永慶寺山門】
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  永慶寺山門は天正時代の郡山城主であった豊臣秀長(豊臣秀吉の弟)の時代に大和郡山城の南御門として建築された、当時の大和郡山城の遺構として大和郡山市内に残る唯一の建造物であり、幕末に永慶寺山門として移築されている。
  安土桃山時代の城門建築様式を伝える門として、昭和50年10月2日に大和郡山市の文化財として指定されている。



【永慶寺本堂】
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  永慶寺の本堂である大雄宝殿である。



【永慶寺境内】
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  左側の建物が庫裏、その右側の建物が柳澤家仏間である香厳殿である。
  永慶寺の墓域は庫裏と香厳殿の間を進んだ奥である。




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by kaz794889 | 2013-03-11 18:24 | 大和郡山紀行 | Comments(0)


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