峡陽文庫

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2013年 02月 09日

野口小蘋と十一屋

【野口小蘋画 十一屋チラシ】
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  毎年正月、新年に因んだ縁起のよい題材で作成され、新年向けの販売品に添付していたと思われる、野口小蘋が描いた十一屋のチラシ。他にも毎年数種類のチラシが作られている。



【野口小蘋画 十一屋の御茶袋原画】
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  野口小蘋(旧姓本名:松村親)は、弘化4年4月11日に阿波国出身の医業、松村春岱の長女として大阪で生まれ、幼年から雅号を玉山として画道に励み、慶応元年に日根対山に師事した後、小蘋と改めている。
  明治6年には官命により皇后陛下御寝殿の間の画を任せられるなど、没するまでの間には帝室技芸員に任命されるなど画家として多くの作品を残している。
  明治8年から9年にかけて、甲府横近習町の大木喬命宅北側の同家住宅に居住するなどし、明治10年、野口小蘋31歳の年に、滋賀県蒲生郡桜川村に本家を構える野口正忠の長男で、甲府柳町で同家が営業する十一屋(醸造業)の野口正章と結婚し甲府に滞在している。
  野口正章は十一屋として清酒を醸造する他、明治6年12月に甲府でビール醸造に着手するなど、当時の殖産興業に努めていたが、ビール醸造に係る経費などにより相当の資産を投入する状況であったことなどから、廃嫡という形で弟に十一屋を引き継ぎ、明治15年の夏に妻である小蘋と一人娘の郁の家族三人で上京し、東京に居住することとなり、大正6年2月17日に71歳で没している。

  明治10年から15年の甲府滞在時、野口小蘋は十一屋の家業である日本酒の商標を図案化するなどしていた。十一屋は甲府柳町の店から醤油の醸造を分離し甲府緑町に支店を設けるなどし、御茶の販売も手掛けていた。左の原画は、販売用の御茶袋のデザインとして野口小蘋が描いた原画とその下絵であるが、その年代は東京転居後の作品と思われる。
  



【野口小蘋画 十一屋商品券】
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  明治15年の東京上京後も、十一屋の商売に絡む数々の絵柄を描いている。
  小蘋が描いた十一屋の商品券である。




【野口小蘋の住居附近の現在】
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  明治15年の上京後、野口小蘋一家は明治36年6月に東京市麹町区内幸町に転居し、その場所が大正6年に没するまでの終の棲家となっている。
  写真は、現在の小蘋が住んだ住居(当時の住所:内幸町1-5)附近である。




【小蘋 野口親子之墓】
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  野口小蘋の墓石である。墓石には生まれ年月日(弘化4年4月11日)と没年月日(大正6年2月17日)が刻まれている。





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by kaz794889 | 2013-02-09 23:14 | Comments(0)


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