2012年 12月 16日

武田八幡神社 石鳥居

【武田八幡神社参道正面と総門】
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 武田八幡神社の創立は弘仁13年(822年)に旧来から武田武大神と崇められていた武田王の祠廟に宇佐八幡宮を勧請し、当地の地名である武田を冠して武田八幡宮と称することとなったと伝えられている。 
 その後、貞観年間(859年~876年)に石清水八幡宮が社中に勧請され神田の寄進が行われるとともに、甲斐源氏一族の尊崇を受け、武田の地に居館を構え武田氏を称した源信義が社殿を造営し武田八幡宮を氏神として仰ぎ、以来中世を通じて代々の武田氏から厚く崇敬を受け現在に至っている。
 境内は韮崎市神山町北宮地集落背後の東面傾斜地を階段状に削平し、石垣で社殿敷地を造成し、最上地に本殿、末社若宮八幡神社本殿が並び、順次下方に拝殿、舞殿が建てられその間は石段で結ばれている。
 写真は舞殿の下に建つ総門と参道正面の三の鳥居である石造明神鳥居である。



【文部大臣あて国宝指定願に関する文書】
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 昭和4年4月6日に武田八幡神社本殿は「国宝保存法(昭和4年法律第17号)」に基づき国宝(旧国宝)に指定されていることから、「右神社三ノ鳥居ハ伝フル処ニ依レバ桜ノ御所ヨリ現在地ニ遷座ノ際建造セラレタルモノナリト云フ其型石質ヨリ見テ極メテ古ク其当村ノ代表的建造物ナルモノト相認メ至急実地御調査ノ上国宝建造物ニ御指定相成度写真並ニ調書相添ヘ相願也」として、同神社の社司、社掌及び氏子総代名により文部大臣あて昭和13年3月26日付「国宝建造物ニ指定ノ義御願」を山梨県知事あて提出されたことに伴い、左記文書(兵収第1996号(13.7.20)「国宝指定願ニ関スル件」)が山梨県知事から文部大臣あて発出されている。



【山梨県知事あて文書】
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 前記の文書を受け、文部省宗教局長名により山梨県知事あて発出された文書の原義である。
 武田八幡神社から山梨県知事あて提出された文書に石鳥居の写真は添付されていたが、文部省から石鳥居の正面と側面の写真及び鳥居の刻名拓本の送付を求める文書である。
 なお、当該文書により送付された二枚の写真が後述する写真である。



【文部大臣あて送付した鳥居正面写真】
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 武田八幡神社の石鳥居は国宝保存法に基づく指定には至らなかったが、昭和36年12月7日に「武田八幡神社石鳥居付正面石垣」として山梨県の指定文化財となっている。




【送付写真の現状】
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 昭和13年当時の写真では、鳥居の後方に写る総門の屋根は茅葺となっているが、現在の総門は瓦葺に改修されている。
 



【文部大臣あて送付した鳥居側面写真】
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 鳥居には天正12年に補修した旨が刻まれている。



【送付写真の現状】
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by kaz794889 | 2012-12-16 17:05 | 神社 | Comments(0)


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