峡陽文庫

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2012年 07月 06日

戦時期の山梨 9 「甲府空襲」

【昭和20年7月7日の日記】
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 67年前の今日、7月6日は甲府市とその周辺地域が米軍機により襲撃された甲府空襲のあった日である。
 午後11時22分の警戒警報発令から同54分の空襲警報発令、翌日午前2時20分の空襲警報解除、午前3時20分の警戒警報解除までの4時間の間に、甲府市街の70%以上が焼失し、1100余名の尊い命が犠牲となっている。
 これまで築いてきた甲府の文化や歴史、伝統がこの僅か4時間の間に烏有に帰している。
 歴史に「もし」は馴染まないことは十分に承知しているが、何かにつけて以前から甲府空襲に限っては、「もし」を考えずにはいられないのである。
 相当以前に北陸の金沢市を訪ね、市街の表通りから入った住宅街を歩いた時に強く心に残っている記憶は「戦災を受けていないというのは、こういうことなのだ」といった印象である。
 何気ない住宅街の小道に戦前がごく普通に、当たり前のように存在していたのである。
 これまで、峡陽文庫の中で記した項目に「昭和20年7月6日の甲府空襲で焼失した」という記述が少なくないと思うが、空襲を経験していない我々にとっても、7月6日は毎年、特別な感慨の1日である。

【甲府空襲の罹災証明書】
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 甲府空襲による罹災者に対して発行された「罹災証明書」である。
 罹災証明書の発行と同時に、疎開の指導を行っていたようである。甲府空襲から一夜が明けた7月7日から、7月18日までの間に、甲府市が発行した罹災証明書の交付数は約50000枚に達したという。
 



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by kaz794889 | 2012-07-06 23:54 | 戦時期の山梨 | Comments(0)


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