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2012年 03月 18日

野口正章とビール醸造

【山梨麦酒沿革】
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 我が国最初の国産ビールは、甲府柳町の十一屋、野口正章により醸造発売されたと云われている。
 大正3年12月15日に甲府市役所あて十一屋から提出された『「山梨麦酒沿革書』によると、「山梨麦酒は明治7年1月の創業にして当時本邦に於いて麦酒を醸造するものあらず、民間麦酒醸造の濫觴とも称すべき時代なり」と記されている。
 野口正章は、明治2、3年頃からビールの試醸に着手し、明治4年には京都に在留していた外国人に指導を求め、ビール醸造機器のの製作研究を続け、その後、藤村県令の奨励を受けて醸造機械と設備を備え、更に横濱から招いた英国人技師コプランの指導のもと醸造法などを研究習得するなど、数年間に渡って多大の私財を投入しビール醸造の完成に至っている。



【十一屋の跡】
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 醸造されたビールは「甲斐ビール」「三つ鱗」の商標を付けて京浜地方に売り出し、明治8年には京都で開催された内国博覧会や明治10年に東京で開催された内国勧業博覧会において賞牌を受けるなど、製品は認められるものの、当時の社会環境的には、必ずしもその売れ行きが芳しいといった状況ではなく、ビール醸造に充てた負債は当時の金額で九万円余となり、十一屋の長男であった正章は稼業の一切を弟の富造に譲り、明治15年には東京に移住している。


【野口正章の墓】f0191673_11503317.jpg



 野口正章は嘉永2年3月7日に生まれ、大正11年10月7日に東京市麹町区内幸町の自宅で74歳で没している。



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by kaz794889 | 2012-03-18 13:33 | Comments(0)


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