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2012年 02月 04日
【兵営の外郭の遺構 ①】 ![]() 明治42年に竣工した甲府連隊の兵営の周囲を囲っていた外郭の遺構である。 甲府連隊営門附近を写した写真を見ると、営門の門柱左右は石組みではなく、土盛りの状態となっているため、全周が石組みとなっていたかは定かではないが、相当部分はこうした石組みで囲まれていたと考えられるものである。 前記①の写真は、兵営の南東角地であり、上記地図のアイコンの位置である。 【兵営の外郭の遺構 ②】 ![]() 【兵営の外郭の遺構 ③】 ![]() 前記②の右側(北側)に残る外郭の遺構であるが、石組みはなく土盛りのみが残されている。 【兵営の外郭の遺構 ④】 ![]() 前記①の石組みは更に左側(西側)に向けて残っており、この石組みは兵営正面、営門に向かって右側から角地に向けての石組みである。 写真は東側から西側に向けて撮影したものである。 現在残されている甲府連隊の外郭はこの附近のみである。 小生、幼少から高校までの十数年間を甲府で過ごし、昭和49年から53年まで写真に写っている場所にあった木造住宅に住んでいました。ここには山梨大学の第12宿舎があり、昭和60年前後に鉄筋アパートに改築されるまで古い木造平屋家屋が8軒並んでいました。当時も周囲(南側・東側)に石組みがありましたが、当時は石組みの上に更に高さ50cm近い土盛りがあり、3枚目の写真に出ている敷地東側の土盛りとつながっていました。石組みの高さは今よりも高かったように記憶していますが、当時は子供だったため、高く感じただけかもしれません。 一方、兵営の建物ですが、1棟が昭和50年代前半まで梨大寮として残存していました。2009年9月21日の貴記事に登場する営門写真奥に写っている横長の大きな建物とそっくりでした。場所は現在の附属小プールがある場所、つまり附属小敷地の北端です。この建物はかなり大きく、長手方向に70~80m近くあったと記憶しています。かなり老朽化しボロボロでした。この寮の解体とともに梨大寮は岩窪町へ移転し、跡地は附属小校庭になり、更に校庭の一部にプールが作られました。 本ブログで懐かしい甲府、山梨に会えることをいつも楽しみにしています。 「かつての甲府市民」さま
当ブログをご覧いただきありがとうございます。 また、この度は貴重な周辺情報をいただき、非常に参考になりました。これからも、情報等、御教示いただければ幸甚です。 どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。 |
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