2011年 11月 20日

甲府鍛冶町 一二堂

【甲府鍛冶町 一二堂】
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 一二堂は文化元年から明治元年頃までの間、加賀美山登を師匠とした甲府鍛冶町に開かれ、算法通書、量地図説、地方大成、天元指南などを教科用書とした和算を中心とした学習年限1年の私塾(和算塾)であり、そこで学ぶ生徒は男子10名、女子2名であったようである。

【改正甲府市明細全図(明治38年11月1日発行)の鍛冶町附近】
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 一二堂のあった甲府鍛冶町は、武田城下の鍛冶小路の名を甲府築城に伴う新城下町造営時に移したものであり、町名のとおり鍛冶職人の町であり、城下の諸役免除の鍛冶屋敷32軒の内、27軒がこの町に置かれていた。
 甲府法人会館(旧甲府商工会議所)から東側に向けた通りの両側が鍛冶町の中心であり、昭和初期までは数件の鉄工所が軒を連ねる街であった。
 江戸前期から続いた鍛冶町という町の名は、昭和39年の住所表示変更によってその町名は消え、
現在は中央一丁目から同五丁目の一部となっている。

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by kaz794889 | 2011-11-20 22:02 | Comments(0)


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