2011年 02月 27日

山梨の官選知事 1 「高野源進」

【市川三郷町市川大門の八幡神社】f0191673_13503131.jpg


 西八代郡市川三郷町市川大門に鎮座する八幡神社の正面に建つ八幡神社の社標である。

【八幡神社社標の側面】f0191673_13505097.jpg
 社標の左側面には「山梨県知事正五位勲四等高野源進書」と、右側面には「昭和16年11月3日」と建てられた日が刻まれている。



【山梨常会資料 第27号(昭和17年2月21日発行)】
f0191673_13512955.jpg
 戦前期の知事は選挙で選ばれる現在とは異なり、国が任命した官選知事が各県に赴任していた。
 山梨県には最初の知事相当職であった海江田武次から豊原道也まで、明治元年3月から昭和22年3月までの78年間に43人の知事が任命されている。
 高野源進は前任の警視庁警務部長から昭和16年1月7日に任命され、昭和17年7月7日に陸軍司政長官としてビルマ行政府官房長に転任するまでの間、第37代山梨県知事を務めている。
 高野源進の山梨県知事としての在職は1年8ヵ月という短期間ではあったが、日米開戦前後を挟み、山梨県内でも第十銀行と有信銀行の合併による1県1行体制による山梨中央銀行の発足、山梨毎日新聞と山梨日日新聞の合併による1県1紙体制、甲府電力の関東配電への合併など戦時体制が推し進められた時期であり、左記の山梨常会資料(写真の人物が高野源進である。)
にあるとおり、シンガポール陥落の戦況と食料増産と貯蓄増強の徹底が叫ばれた時期であった。 



【高野源進の墓】
f0191673_1415571.jpg


 高野源進は明治28年3月15日に高野源八の長男として福島県北会津郡北会津村に生まれ、旧制会津中学、旧制第一高校、東京帝国大学を卒業し、大正12年4月に内務省に入省し神田万世橋、本郷駒込警察署長、滋賀県警察部長、茨城県警察部長、警視庁刑事部長、愛知県経済部長、大阪府警察部長、昭和14年9月から16年1月まで警視庁警務部長を務め、その後山梨県知事に就任した後、昭和17年7月には陸軍司政長官としてビルマに赴き、昭和18年8月に大阪府次長、昭和20年6月に広島県知事となり、終戦後の10月11日に警視総監となった後、21年1月に辞職し、9月に公職追放となり昭和26年8月の追放解除後は弁護士を務め、昭和44年1月4日に73歳で亡くなっている。
 なお、高野源進は広島に原爆が投下された際の広島県知事であったが、当日は広島県福山市に出張していたため難を逃れたものの、妻のシナ子は官舎で被爆死している。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2011-02-27 14:22 | 山梨の官選知事 | Comments(0)


<< 私立山梨病院      旧市川大門郵便局 >>