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2010年 10月 17日

小林一三翁生家跡

【小林一三翁生家跡の石碑】
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 小林一三翁生家跡の碑が建てられている「にらさき文化村」(韮崎市本町一丁目)の敷地が、宝塚歌劇団や阪急電鉄の創設者である小林一三の生家跡地である。
 これまでこの敷地は、小林一三の美術コレクションを所蔵する逸翁美術館(大阪府池田市)が所有し、韮崎市が無償で借り受けていたが、同美術館から本年4月頃に韮崎市に寄贈されている。

【明治36年頃の小林一三の生家】
小林一三翁生家跡_f0191673_2145570.jpg

 
 小林一三は明治6年1月3日に巨摩郡河原部村(現在の韮崎市)に生まれている。
 韮崎は甲州街道の要衝として、また北巨摩郡の中核として栄えた宿場町であった。
 小林家は屋号を「布屋」と称し、河原部村の名主や明治維新後は区長を努め、醸造業、製糸業、金融、地主経営を行なう近郷きっての大地主であり資産家であった。
 韮崎市内に長く残されていたこの生家は、昭和44年4月に宝塚ファミリーランド内に移築されていたが、阪神・淡路大震災により潰滅的な損傷を受け、現在は解体・撤去されている。

【小林家文書目録】
小林一三翁生家跡_f0191673_2162030.jpg
 小林一三の生家が宝塚ファミリィーランドに移築された際、家屋とともに家財、文書も併せて宝塚に移されている。その際に、小林家所蔵の文書類についてはその性格を考慮し、池田文庫(小林一三により設立され、文芸、演劇関係の史料を収蔵。)に所蔵されることとなり、小林一三の旧蔵書籍とともに、小林家の屋号である布屋を冠した「布屋文庫」として所蔵されている。
 韮崎から宝塚に小林家の文書を移す際、文書は大小十数個の箱に入れられており、土地売買証文等は小林家において過去に整理されていた形跡があったものの、その他の文書については虫害の発生など必ずしも良好な伝存状況ではなかったようである。
 こうした小林家文書の目録は池田文庫から平成8年3月20日に発行されている。



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by kaz794889 | 2010-10-17 21:55 | 小林一三 | Comments(1)
Commented at 2015-07-25 13:50 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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