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2010年 09月 25日

藤村義朗

【藤村義朗(逓信大臣当時)】
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 藤村義朗は山梨県令藤村紫朗の長男として、明治3年12月4日に京都で出生した。
 幼名は狐狸馬と称し、明治6年に藤村紫朗が山梨県権令(後に県令、知事)に着任するとともに、山梨県に移り、甲府中学の前身である徽典館中等科を明治18年2月21日に卒業しており、幼少年期を甲府で過ごしている。
 徽典館中等科の卒業後、熊本の旧藩主細川侯の嫡子が英仏に留学する際の学友として共に留学することとなり、藤村紫朗の愛媛県知事転任以前に甲府を離れている。



【藤村義朗の筆跡】
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 英仏留学によりケンブリッジ大学に学び帰国し、熊本の済々黌教諭となった後、三井物産に入社しロンドン支店長、上海支社長、取締役を務め退社した後に大正日日新聞を創刊し、大正7年には貴族院議員に互選され、大正13年には清浦内閣の逓信大臣に親任されている。




【藤村義朗夫妻の墓所】
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 藤村義朗は昭和8年11月27日に食道潰瘍のため、東京市中野区上ノ原931の自宅で逝去した。
 享年64歳、葬儀は11月30日に逓信大臣当時の首相であった清浦奎吾伯爵が葬儀委員長となり、仏式により青山葬儀所により執り行われている。
 藤村義朗の妻である増喜夫人との間に子供がいなかったため、晩年は盆栽と旅行に家庭の寂しさを忘れていたという。
 また、明治29年6月に勲功により藤村紫朗が授爵した男爵の爵位は、藤村義朗の死後後継者を欠いていたため、昭和12年1月に藤村家の爵位は返上となっている。

【同墓所】
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by kaz794889 | 2010-09-25 21:37 | Comments(0)


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