2010年 09月 05日

栗原信近翁之像

【栗原信近翁之像】f0191673_1553865.jpg


 韮崎市の穴山郵便局前にある「栗原信近翁之像」は、昭和39年に韮崎市内の穴山農協等の農協が合併し韮崎市農協が新たに発足することとなったことから、穴山農協の嚆矢である孔丘報徳社の創立者である栗原信近の威徳を偲び後世に偉業を伝えることを目的に計画され、昭和45年11月22日に胸像の序幕式が行われている。なお、胸像は石造であり、岡崎市の成瀬石材店に発注したものである。

【梧園翁傳記】
f0191673_15542346.jpg
 栗原信近は弘化元年9月21日に巨摩郡穴山村(現在の韮崎市穴山町)に生まれている。
 豪農としての農業経営や父祖により受け継がれてきた家塾である「松の舎」の経営、村名主としての仕事などに奔走する中で、明治維新を迎え、戸長、区長などを務めていた。
 維新後の山梨県内においては、県令藤村紫朗の殖産興業政策の促進を図る状況の中で、金融機関として第十国立銀行、交通運輸として富士川運輸会社、農業等の産業興隆を図るための農産社の設立など、明治初期における山梨県内の殖産興業発展に大きな役割を果たし、大正13年6月14日に没している。
 
 栗原信近は梧園とも号している。左の資料は栗原信近の伝記として村松志孝が著した「梧園翁寿伝」の草稿である。



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-09-05 16:37


<< 笹子餅      落合水路橋 >>