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2010年 05月 22日

小田切謙明


【小田切謙明の肖像写真】
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 大河ドラマ『龍馬伝』の放送により、清運寺(甲府市朝日5丁目)にある千葉佐那の墓が注目されている。
 千葉佐那の墓は小田切謙明を始めとした小田切家の墓所墓所内にあり、その由縁については既に種々の情報により紹介されているところである。
 山梨県内において小田切謙明の名は、自由民権運動家や海洲温泉(海洲温泉については当ブログにおいて以前紹介している。)として知られている。
 小田切謙明(弘化3年12月1日~明治26年4月9日)は、山梨郡西青沼村に生まれ、年少にして副戸長、戸長を務め、明治9年には銀行類似会社である貸付会社、補融社を設立するなどし、その後板垣退助に従って自由民権運動に東奔西走し、山梨県最初の自由党員となり、県議会において席を列することはできたが、第一回衆議院議員選挙以来、数次に渡って立候補したものの、中央政界への進出は果たすことができずに終わっている。



【小田切謙明君頌徳之碑】
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 自由民権運動家として、庶民の生活向上を願っていた小田切謙明を頌徳するため、昭和11年11月に斎木逸造、野口二郎らを発起人として舞鶴公園(甲府城跡)内に建立された、高さ5m、横幅1.7mの頌徳碑である。 


【現在の頌徳碑】
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【小田切謙明の葉書(表面)】
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 明治9年12月3日に資本金15,000円をもって西山梨郡飯沼村に、小田切謙明、若尾逸平ら11人を発起人とし、銀行類似会社「補金社」が設立され、小田切謙明は初代社長となつている。
 これは、補融社時代に差し出された小田切謙明自筆の葉書である。


【小田切謙明の葉書(裏面)】
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by kaz794889 | 2010-05-22 22:04 | Comments(0)


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