峡陽文庫

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2009年 12月 23日

甲陽館 米倉旅館

【甲陽館米倉旅館跡】
甲陽館 米倉旅館_f0191673_11465167.jpg


 商工組合中央金庫甲府支店がある場所(甲府市丸の内1-6-16)は、かつて甲陽館米倉旅館のあった場所である。米倉旅館は明治維新前、甲州街道柳町宿の本陣として当初は甲府柳町(甲府市中央4-2-21附近)において甲陽館米倉として営業していたが、明治40年代にこの場所に移転している。
 柳町時代の様子について『甲府繁昌記』は「甲府停車場から僅か五丁余にして内外旅客にはもっとも便宜なる地たり、家屋の構造は三層楼にして楼上の眺望頗る宜しき、正面は水煙模糊の間、遥かに芙蓉峰と相対し舞鶴城及び甲府停車場、愛宕山等の風光一望のもとに集むべく真に居ながら峡中の山水に接するを得べし。また館内には最も諸病に効ある鉱泉湧出し優に遠来旅客の労を慰するに便ず、加ふるに其の待遇頗る懇切丁寧にして万事抜け目なきが故に来客常に室に満ち、旅客の同館に宿を求むる者、時に或いは謝絶せらるが如きの繁昌なりと云う。」と記している。

━(甲斐国)甲府市常盤町(米倉旅館前)通り━
甲陽館 米倉旅館_f0191673_11481995.jpg


 上記の写真の場所に建つ、甲陽館米倉旅館である。柳町から移転したこの場所は、明治7年10月に県営の勧業製糸場が建てられていた場所であり、県から民間に製糸場が払い下げられた後、中央本線が甲府まで開通した頃に製糸場が取り壊され、町場が形成されていった地域である。
 この場所は常盤通りに面した錦町であり、甲陽館米倉旅館は当時、千人近い団体客を収容できる甲府市内でも有数の旅館であった。

【甲府柳町時代の甲陽館米倉】
甲陽館 米倉旅館_f0191673_11485840.jpg


━甲陽館米倉旅館のデザイン絵葉書①━
甲陽館 米倉旅館_f0191673_11491952.jpg


━甲陽館米倉旅館のデザイン絵葉書②━
甲陽館 米倉旅館_f0191673_11494179.jpg


 写真は、明治45年に甲府停車場前(甲府市橘町)に開業した米倉旅館の支店である。
 また、米倉旅館の経営者であった米倉善八は明治37年4月に甲陽軒米倉を設立させ、中央線の乗客を対象とした甲府駅構内における中売業を始めるなどし、近年まで甲府駅において駅弁の製造販売等が行われていた。

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by kaz794889 | 2009-12-23 13:05 | 旅館・ホテル | Comments(1)
Commented by 地域ネット at 2009-12-24 14:21 x
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