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2009年 09月 21日

甲府連隊【歩兵第四十九連隊】を歩く 1 「営門跡」

【甲府連隊兵営図「戦記 甲府連隊」より】
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 歩兵第四十九連隊、いわゆる甲府連隊は、明治42年4月に兵営が西山梨郡相川村に設置された。
 現在の甲府市北新1丁目のほぼ全域がかつての兵営があった場所である。
 昭和20年7月の甲府空襲により市街地が焼失したものの、甲府連隊の施設は甲府空襲による罹災を免れたため、終戦後、当該施設は甲府空襲の罹災者や外地からの引揚者のための住宅として、また山梨師範学校、甲府高等女学校など校舎が焼失した学校の仮校舎として使われてきたが、こうした甲府連隊時代の施設は現在までにその殆んどが取り除かれ、山梨大学の附属小中学校、甲府市立北新小学校、山梨県福祉プラザ、甲府市営団地などを始めとした住宅地となっている。
 左記の甲府連隊兵営図は昭和39年9月にサンケイ新聞甲府支局から発行された『戦記 甲府連隊』によるものであるが、下図の「現在の北新町略図」も既に45年が経過した昭和39年当時の状況であり、当然ながらその略図も大きく変化しているものである。
 今後、「甲府連隊を歩く」と題し現在の様子を紹介していくこととしたい。



【現在の甲府連隊営門跡】
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 甲府連隊の営門があった場所の現在の様子である。
 東西に通じる道路に面し、その北側に向けて甲府連隊の兵営施設が置かれていたが、その兵営を東西に分断する形で、北側に通じる道路(写真正面の道路)が戦後建設され、現在はT字路となったこの場所に営門が置かれていた。



━(甲府名勝) 甲府第四十九連隊正門━
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 明治42年頃、甲府連隊の兵営が建設された当時の営門である。この建設当初からの営門が終戦時まで使用されていた。

━(甲府名所) 四十九連隊正門━
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 昭和初期の営門である。営門に変化はないが、門扉が木柵から鉄柵に取り替えられている。

【歩兵第四十九連隊営門跡碑】
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 営門跡のやや東側、山梨県福祉プラザの駐車場に建てられている「旧歩兵第四十九連隊 営門跡碑」である。
 この石碑の建設当時、この場所は山梨県の職員住宅であった。

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by kaz794889 | 2009-09-21 09:05 | 甲府連隊 | Comments(0)


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