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2009年 08月 02日

恩賜林謝恩碑

【甲府城址に建つ謝恩碑】
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 明治40年及び43年の大水害は山梨県内に多大の被害をもたらしたが、その原因のひとつに県内林野の三分の二を占めていた旧小物成地の官有地、御料地への編入により従来からの入会慣行が制限されたことにより、濫盗伐、山火事などによる山林荒廃が進み水害の脅威が年ごとに増していったことによるといわれている。
 被災した町村などでは、「御料林の還付請願」などの機運が水害後に高まり、県会で意見書が当時の政府に対して提出されるなどの運動が功を奏し、明治44年3月11日に県下御料地298,203町歩を県有財産に下賜する旨の御沙汰書の伝達を受けたのである。(以来、3月11日は恩賜林記念日とされている。)
 こうした恩賜県有林の経緯を記念するため謝恩碑が建設されている。



━[甲府名所] 謝恩碑━
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 謝恩碑の建設は大正6年7月の臨時県会で議決され、伊東忠太、大江新太郎の設計・指導により、甲府盆地を一望にし恩賜県有林が遠望可能な地を考慮し、甲府城址本丸広場西南端への建設が着工された。
 謝恩碑の碑材は東山梨郡神金村上萩原(現在の甲州市)の萩原山恩賜県有財産内の花崗岩を使用した。
 碑高19mのオペリスク型、高さ7.5mのバイロン型による台座としその周囲は回廊式とした謝恩碑は大正11年9月に竣工し除幕式が挙行された。
 


━謝恩碑表面に彫刻せる山縣公爵揮毫の扁額━
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 謝恩碑の碑身は東側を正面とし、その台座に刻まれた山縣有朋による『謝恩碑』の揮毫である。

━謝恩碑裏面に彫刻せる山脇前知事の撰文━
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 謝恩碑の正面裏側である西側の台座に刻まれた、山脇春樹知事の撰文である。
 なお、謝恩碑が竣工した大正11年9月当時の知事は長野 幹であった。

━御沙汰書━
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 内務大臣の上京命令により、この御沙汰書は当時の山梨県知事熊谷喜一郎に伝達されている。

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by kaz794889 | 2009-08-02 18:21 | Comments(0)


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