2009年 06月 23日

甲府城と舞鶴橋

━甲府城━
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 かつての甲府城は中央内城の石垣に沿った周囲に一の堀が巡らされていたが、明治維新後の甲府市街形成や甲府駅設置などの過程において徐々に埋め立てられていった。
 この写真は数奇屋櫓跡周辺の石垣下(現在の甲府城西側)に沿った道路西側(甲府市中央二丁目の4番地、5番地附近)の一の堀が残されていた頃、桜町と橘町の境であった堀を渡るために架橋されていた舞鶴橋である。

【現在の甲府城・壕の最西側】
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 前記の写真に写る一帯の現在の状況である。
 甲府城の堀も現在は城址南側にその一部が残されているのみである。堀に架橋されていた舞鶴橋は堀の埋め立てとともに、大正11年9月に撤去されている。

【現在の甲府城図(部分)】
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 山梨県発行『舞鶴城公園』パンフに掲載された甲府城図に描かれた、舞鶴橋があった附近の現状である。
 ④が数奇屋櫓跡である。また、Pの位置が前記現状写真の中央に写るアスファルト部分である。

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by kaz794889 | 2009-06-23 17:57 | 甲府城 | Comments(1)
Commented by dsdsfdfdfdhand11 at 2009-06-23 18:00
初めまして!
遊びに来ました!
これからヨロシクお願いしま~す<m(__)m>


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