2009年 02月 21日

武田信玄の墓所

 甲府市岩窪町円光院下にある武田信玄の墓所は、武田二十四将の一人土屋右衛門の屋敷跡といわれ、天正元年4月12日に死亡した信玄の遺骸は、その屋敷内で火葬されたと伝えられている。

━甲斐武田信玄ノ墓━
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 明治39年に改修される前の武田信玄の墓所である。


 現在の碑石が建立される前、高さ一尺九寸、横一尺ニ寸の古碑が建立されており、当時の人々は、この場所を火葬塚、魔縁塚と称しており、ここを犯す者には必ず祟りがあるとして近づく者もなかったことから、安永8年、甲府代官であった中井清太夫が試みにこの場所を発掘したところ、信玄の戒名が刻まれた石棺を確認したため、古碑とともに石棺を元通り埋め戻した上、この地を信玄の墓とし定め、安永8年に、今も残る碑石が建立されたのである。

━(甲斐国)武田信玄公の墓━
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 今も残る、安永8年建立の信玄碑石。




━(甲斐国)武田信玄公の御墓━
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 こうした経緯の中、年月の経過による劣化とともに、明治31年の暴風雨により、信玄の墓所も荒廃していった。このため、こうした状態を憂い明治39年開催の一府九県連合共進会の開催にもあわせ、当時の山梨県知事武田千代三郎の妻である浜子等を発起人として、繭の寄附を募り、集まった繭の資金化を行うなどして墓所の整備・改修などを実施したのである。
 これは、整備・改修後の墓所である。

━甲斐甲府 武田信玄公御廟━
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 整備・改修の内容は、墓所の修繕工事(石垣、廃銃による鉄柵、周囲を廻る堀の新設など)及び道路改修を行ったのである。また、明治39年10月12日の午前9時から改修なった信玄墓前において落成式が挙行された。
 
━武田機山信玄公之廟━
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 明治39年の落成式当日は、信玄の墓所境内において剣道、柔術、剣舞などの催しが開催され、絶えず花火が打ち上げられた。また、落成式への参列者以外の参拝者も頗る多い状態であったようだ。

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by kaz794889 | 2009-02-21 22:03 | 絵葉書 | Comments(0)


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