2009年 01月 28日

絵葉書で見る山梨 19


━ 山梨高等工業学校 全景━
f0191673_22181767.jpg


 愛宕山の西側辺から眺めた状景である。
 中央に写る校舎が大正13年9月に設立された山梨高等工業学校(昭和19年に山梨工業専門学校と改称し、戦後の教育制度改革により、昭和24年に山梨大学工学部となった。)である。山梨高等工業学校の設立にあたっては、根津嘉一郎が学校敷地を寄附している。
 山梨高等工業学校の前に写る校舎は、明治43年3月に甲府市錦町から新築移転した山梨県師範学校(現在の山梨大学教育人間科学部)である。
また、師範学校の左上は、歩兵第49連隊いわゆる甲府連隊の兵舎である。
 学校周辺も、写真右側の武田神社方面も、まだ一面の田畑が続いている、昭和5年頃の風景である。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2009-01-28 22:44 | 絵葉書で見る山梨 | Comments(2)
Commented by ひろ坊 at 2009-01-29 20:31 x
山梨高等工業学校の敷地も鉄道王根津嘉一郎氏のご寄付だったんですか。凄いですね。ただ単に稼ぐだけでなく、富を社会に還元する。アメリカの鉄鋼王カーネギーの「富の福音」の実践を彷彿する。

菅子の三樹
一年の計は、穀を樹うるに如くはなし。
十年の計は、木を樹うるに如くはなし。
終身の計は、人を樹うるに如くはなし。
 よき人物、人を用意、教育しておくことが何よりも一番賢明な長久の計だとおもいます。
Commented by kaz794889 at 2009-01-29 23:44
ひろ坊 さま
 
 そうですよね。そうした形で富を社会に還元したところに、現在でも「根津さん」と、郷里で呼ばれ続けている、理由があるのでしょうね。
 山梨市の根津記念館に、根津嘉一郎が実家の当主である甥の根津啓吉に宛てた、儲けだけを考えることを戒める内容の書簡が展示してありました。


<< 絵葉書で見る山梨 20      山梨農工銀行 >>