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2017年 06月 04日

『地下鉄90年』展

【『地下鉄90年』展のチラシ】
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 山梨県立博物館でシンボル展『地下鉄90年 -早川徳次、東京の地下鉄を拓く-』が開催[平成29年5月27日~6月26日]されている。

 この展示会について、同展のチラシには「2017年は、昭和2年(1927年)12月30日に、日本最初の地下鉄である東京地下鉄道上野・浅草間(現在の東京メトロ銀座線)が開業して90周年を迎えます。さまざまな困難を乗り越えてこの医業を実現したのは、山梨出身の早川徳次です。本展では、一介の青年が今日では大都市の交通機関として無くてはならないものとなった地下鉄創業へ挑んだ軌跡を紹介し、その近代交通史上の意義や、早川が追い求めた公益性や人づくりの精神について明らかにしていきます。」と記されている。

 早川徳次(はやかわ のりつぐ)は、東八代郡御代咲村 (現在の笛吹市一宮町東新居)に早川常富の四男として明治14年10月15日に生まれ、山梨県立甲府中学校、早稲田大学を卒業し、南満州鉄道株式会社、鉄道院を経て、大正3年8月に鉄道と港湾関係調査のため、イギリスに向かった。その際、ロンドン視察で出会った地下鉄に魅せられ、大正6年9月の帰国後、地下鉄道実現のため、技術的、経済的な可能性の調査、当局に対する免許獲得の運動、会社の設立と資金の獲得等の総てについて、4年の歳月を費やしを独力で遂行したという。

 早川らにより設立された東京軽便地下鉄道が大正6年7月18日に出願した地下鉄道建設の免許出願に対し、大正8年11月17日に政府が免許を交付され、大正9年3月27日には会社名を東京地下鉄道と改称し、昭和2年12月30日に日本最初の地下鉄道を上野・浅草間に開通させている。
 











【東洋唯一(東京地下鉄道)プラットホームの光景】
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 上野・浅草間 開通当時のプラットホーム光景と当時の地下鉄車両





















【日本最初の(東京地下鉄道)上野停車場、浅草停車場入口】
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 東京地下鉄道の上野及び浅草駅の地上入口
 なお、上野・浅草間には中間駅として「稲荷町駅」及び「田原町駅」が開設されている。



































【早川徳次の墓所】
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 早川徳次の墓所である。
 
 昭和2年の上野・浅草間の開通後、昭和14年1月15日に東京高速鉄道株式会社による虎ノ門・新橋間の開業後、同年9月16日には東京地下鉄道の浅草・新橋間8.0㎞と東京高速鉄道の新橋・渋谷間6.3㎞の相互直通運転が開始されている。
 その後、昭和16年3月に帝都高速度交通営団法が制定され、同年7月4日に帝都高速度交通営団が発足し、東京地下鉄道、東京高速鉄道、東京市及び京浜地下鉄道の所属鉄道・免許線などが営団に引き継がれることとなった。

 営団の発足後、昭和17年11月29日に早川徳次は61歳で没している。









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# by kaz794889 | 2017-06-04 18:49 | Comments(0)
2017年 05月 28日

旭村 大公寺の忠魂碑

【大公寺境内の忠魂碑】
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 韮崎市の大公寺境内の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「元帥陸軍大将子爵 川村景明 書」の文字。
 また、背面には「大正十三年三月十日 帝国在郷軍人会 旭村分会建之」と建設年等が刻まれている。

 この忠魂碑は、終戦後、大公寺境内の現在地に移されたものであり、当初は、旭村宮下の甘利尋常小学校(現在の韮崎市立甘利小学校は昭和58年4月1日に三校統合により現在地[韮崎市大草町上條東割]に創立)の校地内に建立されていたという。










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# by kaz794889 | 2017-05-28 14:19 | 忠魂碑 | Comments(0)
2017年 05月 13日

旧日川村役場

【日川村役場】
f0191673_14482351.jpg 日川村は明治8年6月、山梨郡 一町田中村、歌田村、上栗原村、下栗原村、中村の五か村合併により成立した村である。
 (その後、山梨村、日下部町、八幡村、加納岩町、後屋敷村と合併し、現在は昭和29年7月1日に誕生した山梨市の一部となっている。)

 日川村役場庁舎は、昭和3年3月に同村下栗原1064番地への建設が決定し、同年7月に鉄鋼コンクリート二階建ての庁舎が落成している。
 






















【旧村役場跡に建つJAフルーツ山梨 日川支所】
f0191673_14500062.jpg 日川村役場の跡には、現在、JAフルーツ山梨 日川支所が建てられている。






















【現在も残る旧日川村役場の門柱】
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 旧村役場庁舎は既に取り壊されているが、当時の門柱が現在も残されている。






















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# by kaz794889 | 2017-05-13 13:58 | 役場 | Comments(0)
2017年 05月 07日

商店の包装紙22 『松壽軒 長崎』

【松壽軒 長崎の包装紙】
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 「にしごおり、和菓子の世界」展を南アルプス市野牛島のふるさと文化伝承館で観覧した際、西郡の和菓子店としてイメージした店舗の一つが、かつての五明村荊沢の「松壽軒 長崎」である。

  [『にしごおり、和菓子の世界』展]
    http://kaz794889.exblog.jp/27784517/

 掲載の包装紙は、同店で昭和初期頃に使用されていたと思われるものである。
 「山梨・まち「見物」誌 ランデブー vol17」(2004年10月)の松壽軒 長崎の4代目店主へのインタビュー記事等によれば、創業は明治24年、創業時には翁飴という水飴と、砂糖や寒天を煮詰めた飴を製造しており、二代目店主が煎餅や餅菓子を製造するようになったという。
 なお、同展に展示されていた南アルプス市内における和菓子店の所在地を記した地図によると、松壽軒長崎は4代目主人が亡くなられた後、営業を止められたとのことである。


  
















【松壽軒 長崎の店舗正面】
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 駿信往還(国道52号線)沿いの、大正末期に建設された松壽軒長崎の店舗である。 
 同店舗は平成10年1月16日に国の登録有形文化財に指定されている。
 なお、同店舗について「山梨の文化財ガイド(山梨県内の国・県指定文化財のデータベース)」(山梨県の公式HP)には次のとおり記されている。

 和菓子づくりを営む家の店舗。韮崎から静岡へと通じる国道52号(富士川街道)が鍵の手に曲がる場所に位置する。寄棟造、平入の土蔵造町家で、軒先を持送状に3段に重ねるなど重厚な外観を持つ。街道の要所に建つ老舗として広く親しまれている。










【同店舗の北側側面】
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# by kaz794889 | 2017-05-07 09:16 | 商店の包装紙 | Comments(0)
2017年 05月 06日

「にしごおり、和菓子の世界」展

【「にしごおり、和菓子の世界」展のチラシ】
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 南アルプス市の「ふるさと文化伝承館」で5月17日まで開催している『にしごおり、和菓子の世界』展をこの連休中に観覧した。
 当日は同館職員の方から展示内容についての説明を受けながら観覧することができ、同展開催の趣旨とその内容について理解を深めることができた。

 同展の観覧でまず確認したのは「なぜ、西郡(南アルプス市)で和菓子の世界なのか」についてであった。
 説明によれば「南アルプス市内を貫く駿信往還を利用する往来者による需要や、西郡地域内に所在する社寺の祭事における利用が多かったことなどから、南アルプス市内には昭和初期時点で約50軒の和菓子店が存在(現在も十数店余が営業中)していたことによる。」とのことであった。
 菓子職人が使用した木型などの展示品の中で興味深かったのは、南アルプス市内における和菓子店(既に現在は店を閉めている店舗を含む。)の所在地を示した地図とともに、創業時期と創業者が修業した県内外の店舗についてまとめた表である。
 展示されている同表によれば、継続調査中の一部店舗はあるものの、山梨県内で修行した創業者の多くは、甲府市内の松林軒、満壽太、吟月といった和菓子店で修業を積んでいる。

 今回展示された和菓子以外でも、駿信往還沿いには多くの造り酒屋所在し、県内における近世俳諧文化の中心地域であったなど、甲州街道沿い以上に経済・文化が融合した地域であったことから、今後もこうした地域性に基づく企画展示を期待したい。







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# by kaz794889 | 2017-05-06 16:54 | Comments(0)