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2017年 07月 09日

戦時期の山梨 21「侍従御差遣」

 昭和17年4月18日、昭和天皇は戦時下における国内一般状況、珠に国民総努力の実相視察のため、侍従を各地方に差し遣わすことを治定され、山梨、長野、静岡、神奈川の各県には戸田康英侍従が御差遣されることとなった。
 戸田侍従は各県への御差遣に先立ち、同年6月6日に昭和天皇より謁を賜り翌日7日に出発し、神奈川、静岡、山梨、長野県の順で各県下を実視し、18日帰京、29日に復命を行っている


【聖旨伝達に対する知事奉答】
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 山梨県への御差遣は昭和17年6月13日から15日にわたる三日間、山梨県下各般の施設や諸種の産業部門における職場など、山間僻地を問わず20か所の広汎にわたり視察されている。
 
 戸田侍従は6月13日、11時26分の身延駅着の列車で来県され、当日は、日本軽金属富士川第一発電所取水口、身延深敬病院、身延監視哨を視察後、山梨県庁に到着、正庁において昭和天皇の聖旨を伝達され、当時の高野源進山梨県知事が聖旨に対する奉答を行っている。

 写真は山梨県庁正庁における聖旨御伝達に対する知事の奉答の様子である。
 





  





【山梨県庁旧正庁】
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 山梨県庁別館に復元整備された現在の旧正庁
 戸田侍従への奉答はここで行われている。





















【侍従御差遣記念碑】
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 昭和17年6月14日、御差遣2日目の昭和17年6月14日は、東山梨郡加納岩村(現在の山梨市)の加納岩国民学校、蚕種共同施設組合、扶桑製紙株式会社、同郡勝沼町(現在の甲州市)の日川砂防事業、葡萄園を視察している。

 加納岩国民学校では、児童の桑条剥皮(そうじょうはくひ)状況を視察している。
 桑条剥皮とは、桑葉を摘み去った枝の皮むき作業である。
 枝からむいた後、乾かした乾皮は製紙又は繊維の原料として、一貫匁六、七十銭で売れたという。

 写真は加納岩国民学校(現在の山梨市立加納岩小学校)構内に昭和17年12月に建立された、「侍従御差遣記念碑」である。
 碑の正面には「聖旨ヲ奉シ戸田康英侍従大東亜戦争下ノ民情視察ニ際リ昭和十七年六月十四日本校ニ於テ親シク児童ノ桑条剥皮作業ヲ御覧アラセラル聖慮深遠恐懼感激ニ堪ヘス茲ニ之ヲ碑ニ刻ミ以テ永ク後世ニ伝フ」の文字が、また背面には「昭和十七年十二月 加納岩国民学校]の文字が刻まれている。




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# by kaz794889 | 2017-07-09 16:48 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2017年 07月 05日

竜王の武田神社

【竜王の武田神社】
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 竜王下宿の神明神社境内に鎮座する武田神社は、武田信玄公を祀る神社である。
 
 明治維新前は信玄堤附近にあったというが、神社附近の免租屋敷が維新後に有租地になるとともに、徐々に荒廃した社殿も失われ祭儀を行うこともできなくなったことから、明治36年に同地区の信徒総代らによる現在地への社殿建設が進められたという。

 明治30年代に建設された社殿は、近年改修整備されている。

 













【社殿改築に係る浄財寄附領収証】
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 社殿改築に係る寄附金の領収証である。
 改築資金については寄附金のほか、募金の方法として当時の在京名士の揮毫を得て頒布するなどし浄財を集めたという。
























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# by kaz794889 | 2017-07-05 15:20 | 神社 | Comments(0)
2017年 07月 02日

島田村 島田小学校敷地内の忠魂碑

【島田小学校敷地内の忠魂碑】
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 上野原市鶴島の上野原市立島田小学校敷地内の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「元帥陸軍大将 正二位 勲一等 功一級 子爵 川村景明書」の文字が、また、背面には「大正十年四月十五日建之 嶋田村」の文字が刻まれている。
 
 島田小学校の創立は明治8年の公立鶴島学校の開校を嚆矢としており、忠魂碑は島田尋常小学校当時の建立である。
 戦前、学校の敷地内に建立されていた忠魂碑は少なくないが、その多くは終戦後に学校敷地外の神社や寺院の境内に移設されたり、一旦は破壊等の上で地中に埋めるなどの措置がなされている。
 種々の理由によるものとは思われるが、学校敷地内に現存する忠魂碑は数少ないものである。









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# by kaz794889 | 2017-07-02 21:07 | 忠魂碑 | Comments(0)
2017年 06月 25日

上野原町 久善寺公園裏山の忠魂碑

【久善寺公園裏山の忠魂碑】
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 上野原市の久善寺公園裏山の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「元帥陸軍大将 子爵 川村景明書」の文字が、また、背面には「大正十年九月 帝国在郷軍人会 上野原町分会」等の文字が刻まれており、忠魂碑の竣工除幕式は、大正10年9月20日に挙行されたという。

















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# by kaz794889 | 2017-06-25 19:47 | 忠魂碑 | Comments(0)
2017年 06月 04日

『地下鉄90年』展

【『地下鉄90年』展のチラシ】
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 山梨県立博物館でシンボル展『地下鉄90年 -早川徳次、東京の地下鉄を拓く-』が開催[平成29年5月27日~6月26日]されている。

 この展示会について、同展のチラシには「2017年は、昭和2年(1927年)12月30日に、日本最初の地下鉄である東京地下鉄道上野・浅草間(現在の東京メトロ銀座線)が開業して90周年を迎えます。さまざまな困難を乗り越えてこの医業を実現したのは、山梨出身の早川徳次です。本展では、一介の青年が今日では大都市の交通機関として無くてはならないものとなった地下鉄創業へ挑んだ軌跡を紹介し、その近代交通史上の意義や、早川が追い求めた公益性や人づくりの精神について明らかにしていきます。」と記されている。

 早川徳次(はやかわ のりつぐ)は、東八代郡御代咲村 (現在の笛吹市一宮町東新居)に早川常富の四男として明治14年10月15日に生まれ、山梨県立甲府中学校、早稲田大学を卒業し、南満州鉄道株式会社、鉄道院を経て、大正3年8月に鉄道と港湾関係調査のため、イギリスに向かった。その際、ロンドン視察で出会った地下鉄に魅せられ、大正6年9月の帰国後、地下鉄道実現のため、技術的、経済的な可能性の調査、当局に対する免許獲得の運動、会社の設立と資金の獲得等の総てについて、4年の歳月を費やしを独力で遂行したという。

 早川らにより設立された東京軽便地下鉄道が大正6年7月18日に出願した地下鉄道建設の免許出願に対し、大正8年11月17日に政府が免許を交付され、大正9年3月27日には会社名を東京地下鉄道と改称し、昭和2年12月30日に日本最初の地下鉄道を上野・浅草間に開通させている。
 











【東洋唯一(東京地下鉄道)プラットホームの光景】
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 上野・浅草間 開通当時のプラットホーム光景と当時の地下鉄車両





















【日本最初の(東京地下鉄道)上野停車場、浅草停車場入口】
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 東京地下鉄道の上野及び浅草駅の地上入口
 なお、上野・浅草間には中間駅として「稲荷町駅」及び「田原町駅」が開設されている。



































【早川徳次の墓所】
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 早川徳次の墓所である。
 
 昭和2年の上野・浅草間の開通後、昭和14年1月15日に東京高速鉄道株式会社による虎ノ門・新橋間の開業後、同年9月16日には東京地下鉄道の浅草・新橋間8.0㎞と東京高速鉄道の新橋・渋谷間6.3㎞の相互直通運転が開始されている。
 その後、昭和16年3月に帝都高速度交通営団法が制定され、同年7月4日に帝都高速度交通営団が発足し、東京地下鉄道、東京高速鉄道、東京市及び京浜地下鉄道の所属鉄道・免許線などが営団に引き継がれることとなった。

 営団の発足後、昭和17年11月29日に早川徳次は61歳で没している。









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# by kaz794889 | 2017-06-04 18:49 | Comments(0)